日本における

ヘリコプター救急への取組み

 

 

これは、ほぼ1年前に書いた文章である。

  わが国のヘリコプター救急体制は5年前、1995年1月の阪神大震災で鋭く問われることとなった。多くの人が瞬時にして瓦礫の中で傷つきながら殆どなすすべもなく、5,000人以上の犠牲者を見送らねばならなかったからである。

 このときアメリカやヨーロッパのようなヘリコプター救急体制ができていれば、あたら無駄な死を迎える人はもっと少なかったに違いない。たとえば1998年6月ドイツ高速鉄道インターシティ・エクスプレス(1CE)で起こった事故では、列車の脱線から1時間以内に救急医や救助隊員をのせたヘリコプター39機が集まってきた。あれは日頃からヘリコプター救急システムが動いていたからである。

 しかるに阪神大震災の当日、ヘリコプターのことを考えた人は、現地の行政当局や病院の中ではほぼ皆無であった。たとえ、そう考えた人がいても、出動手順やシステムが全くできていなかったことからして、実質的な活動はやはりできなかったであろう。

 

ヘリコプターの積極活用を答申

 とはいえ、わが国でもヘリコプター救急を日常的な軌道に乗せようという動きがなかったわけではない。政府、地方自治体、救急医、あるいは民間企業の中にも、さまざまな考えや試みや動きがあり、今もつづいている。そうした日本のヘリコプター救急に関する動向を、ここでは平成元年以降にしぼって見てゆくことにしたい。

 出発点は平成元年3月20日、消防審議会による消防庁長官への『消防におけるヘリコプターの活用とその整備のあり方に関する答申』である。それまでも東京消防庁を始め、全国各地の消防機関にヘリコプターが配備されていたが、答申ではいっそう積極的にヘリコプターを活用すべきであるとして、21世紀初めには全国の都道府県に少なくとも1機は消防・防災ヘリコプターを配備するという目標が最終結論となった。

 自治省消防庁は、それにもとづき年間4〜5機のペースで消防・防災ヘリコプターの導入に乗り出した。その運用目的は火災消火、人命救助、情報収集、緊急輸送、災害予防などが含まれ、必ずしも救急業務だけに限られたものではない。しかし答申の内容は救急業務にかなりの力点が置かれており、都道府県に少なくとも1機という配備形態も欧州の救急体制に範をとった考え方が根拠になっている。

 すなわち「西ドイツ、スイス等救急ヘリコプター先進諸国の例から……半径50〜70km(ヘリコプター基地から救急現場におおむね15分前後で到達可能な距離)」ごとにヘリコプターを配備して、「消防活動の新たな展開を図るため、消防ヘリコプターの整備を全国的に推進する」 「この半径による活動範囲は、おおむね各都道府県の区域と一致するため、消防ヘリコプターは各都道府県に少なくとも1機以上配置されることを基本とし……今後約10年の間に新たに40〜50機を計画的に整備」し、「諸外国の例にみられるように、ヘリコプターを活用して病院収容までの時間を飛躍的に短縮し、救命率を高める救急業務の実現」や「上空からの消火や人命の救助、災害状況の把握、ヘリコプターによる救急患者の搬送」をおこなうという認識であった。

 確かに、機体配備の目標はいま達成されつつあり、おそらく平成12年度中には全国配備が完成する見通しとなった。これで消防・防災ヘリコプターは総数71機になるものと見られる。

 

ヘリコプターが使われなかった惨事

 しかし現実は、ヘリコプターの配備体制はととのったものの、救急だけが目的ではないため、平成10年度の救急出動が全国合わせて年間760回。欧米の1機分程度の実績である。これに自衛隊による離島からの患者搬送、年間およそ500回の出動を合わせても、わが国土面積や人口から見れば欧米にくらべてきわめて少数といわざるを得ない。

 これは未だヘリコプター救急の日常的なシステムができていないためである。一種の特別飛行として、その都度いくつもの関係機関と連絡調整をしたり、上司の判断を仰いだり、許可を取ったり、気象や着陸場所の確認をするなど、煩雑な手続きを要するためである。その一方、救急車は電話一本で秒単位で出て行く。ヘリコプターも最終的には救急車に近い手続きで出動できるような体制ができなければならない。

 そうしたヘリコプター救急システムの確立を求めて、平成の初期にも実際にヘリコプターを使った運用試験がおこなわれた。たとえば平成2年に札幌医科大学、平成3年8〜9月には東海大学病院で実用試験運航がおこなわれた。神奈川県下から静岡県御殿場にかけて34か所の臨時ヘリポートを設置、BK117で16件、22人の患者を搬送したという実績が残っている。

 また翌平成4年7〜12月には、岡山県倉敷市の川崎医科大学で救急医療ヘリコプターの試験運航がおこなわれた。半径70kmの範囲に52か所の臨時ヘリポートを設定してBK117が待機、実際の救急要請に応えて医師をのせて出動し、患者搬送をおこなった。半年間で91例という実績が残っている。

 しかし、そうこうしているうちに、平成7年(1995年)1月17日早朝5時46分、阪神大震災が起こる。地震と同時に5,500人の人が死亡、その後入院中に死亡した人を加えると6,400人を超える惨事となった。

 しかるに地震発生の当日、ヘリコプターで救助された人は、わずかに1人であった。翌18日には6人、19日には10人がヘリコプターで搬送されたが、初期治療の着手時間が生死を分けるという災害にあっては、この3日間が限度である。本来なら――つまり、ヘリコプター救急が日常的におこなわれていたならば、この3日間に200人くらいの人がヘリコプターで救出されてしかるべきだったというのが救急専門医の見方である。実際は、その1割もなかったのだ。

 

無視されたヘリコプター救急

 この惨事を受けて同年7月、地震から半年もたたないうちに、ときの村山富市首相を議長とする中央防災会議が『防災基本計画』を改訂した。半年間の作業はまことに素早かった。その点は評価すべきだが、残念ながら肝心のことが抜けているのではないだろうか。

 阪神大震災でヘリコプターに関連して問題になったのは、空中消火と人命救助である。けれども何故か、この2点が基本計画では触れられていないのである。

 たとえば「震災対策編」の中でヘリコプターという言葉が出てくるところを見ると、情報収集にヘリコプターを使う、防災担当職員の派遣と参集にもヘリコプターを使う、緊急物資の輸送にもヘリコプターを使うことになっている。

 その中の情報収集については「機動的な情報収集活動を行うため、必要に応じ航空機、巡視船、車両など……を整備すると共に、ヘリコプター・テレビシステム……の整備を推進する」「被災現場の状況をヘリコプター・テレビ・システム等により収集し、迅速かつ的確に災害対策本部等の中枢機関に伝送する画像伝送無線システムの構築に努めること」 などとこまかく書いてある。

 しかるに救助・救急、医療および消火の項目にはヘリコプターも飛行機も出てこない。

 では、どうするのか。救助・救急については「住民および自主防災組織は、自発的に被災者の救助・救急活動を行う」とある。消火活動についても同じ文言で「住民および自主防災組織等は、自発的に初期消火活動を行うとともに、消防機関に協力するよう努めるものとする」などと書いてある。

 要するに自分たちが現場を見たり、現場に行くのはヘリコプターを使うとしながら、救急と消火は住民が自発的、自主的にやれというのである。まことに一方的な計画である。

 この計画は「防災憲法」とでもいうべき基本原則を定めたものである。そして単独で機能するばかりでなく、全国の自治体がそれぞれの「地域防災計画」をつくるための模範計画でもある。それがこういうことでは、各自治体の「地域防災計画」も同じような内容にならざるを得ない。

 この計画は平成9年6月、橋本龍太郎首相のときに再度改訂されたが、そのときもヘリコプターによる救急と消火の問題は取り上げられなかった。

 

救急手段となったヘリコプター

 平成8年5月10日、厚生省は「災害医療体制のあり方に関する研究」結果を発表した。大災害における広域搬送にはヘリコプターが有効であるとして、各地の災害医療拠点病院などにヘリポートを設置するという結論である。そのため県内1か所の基幹病院には1億3,300万円、地域病院には7,200万円の補助金を出すことにした。

 平成9年7月には、自治省消防庁が「ヘリコプター救急システムの推進に関する検討委員会」を発足させた。その結果、平成10年3月25日「消防法施行令」が改正された。その第44条(救急隊の編成および装備の基準)について、これまで「救急隊は、救急自動車1台および救急隊員3人以上をもって編成しなければならない」とあったところを「救急隊は、救急自動車1台および救急隊員3人以上、または回転翼航空機1機および救急隊員2人以上をもって編成しなければならない」と改めたのである。

 これで法規の上では、ヘリコプターも正式に救急手段であることが認められた。今後は救急車と同じように、また10年前の消防審議会の答申のように、ヘリコプターも日常的な救急活動に使えることとなった。

 もとより機体を配備しただけでは不充分である。119番の救急電話の受付けからはじまって、出動の是非の判断、病院との連携、医師の同乗、着陸場所の手配と警備、現場治療の内容、無線連絡の方法などの課題について、さまざまな機関が協力し合い、システムを構築しなければならない。ただし日本には、すでに救急車によるすぐれた救急システムが存在する。上の施行令が「または」という言葉で表現しているように、基本的にはヘリコプターも救急車と同じシステムの中で同じように扱っていけば、さほど困難な問題ではあるまい。

 

子ども達の生きた教材

 平成11年4月1日、いまから丁度1年前、浜松の聖霊三方原病院を拠点として医療用ヘリコプターの研究飛行がはじまった。この病院は、もう10年ほど前からヘリコプターを常駐させ、患者搬送に使っていた。

 しかし航空法上の制約が多くて、時間的に余裕のある患者搬送――病院間搬送や帰還搬送しかできず、飛行回数も月に1〜2回程度で救急といえるようなものではなかった。それを欧米並みの救急搬送に変えようというのが新しい試みである。

 まず浜松周辺の半径約35km、15市町村の範囲に253か所の臨時ヘリポートが設定された。そして緊急患者が出た場合は各市町村の消防本部から電話でヘリコプターを呼んで貰う。ヘリコプターは現場に最も近い臨時ヘリポートに飛び、同じところへ救急車が患者を運んでくる。欧米のように直接現場にヘリコプターが着陸するわけではない。したがってまだるっこい感じがするが、法規上やむを得ない。臨時ヘリポートは河川敷、公園、学校の校庭などである。

 余談ながら、校庭を使うについては子ども達の危険を招いたり、授業の邪魔になりはせぬかという心配や反対もあった。けれども関係者の努力でこれが実現した考え方の基本は、子ども達の目の前で救急医療という生死を分ける闘いが演じられることである。

 子ども達が体育などの授業を中断して教室に入ったのち、白衣の医師や看護婦がヘリコプターで飛来し、そこに待ち受けた患者のもとに駆けつけ、手早く初期治療をおこなう。やがて顔面蒼白の患者に血の気が戻り、呼吸が回復し、出血が止まり、意識がよみがえる。

 これこそはまさしく生きた社会勉強にほかならない。授業の中断は15分前後だが、その間に子ども達は人間として、はるかに重要なことを学ぶのだ。瀕死の患者が蘇生するもようを見ていれば、将来大人になったとき救急車のサイレンがやかましいとか、病院ヘリポート反対などと言うようなことはなくなるであろう。

 さて、3月13日までの1年弱、11か月半の間に浜松の救急ヘリコプターは253回の緊急コールを受けた。最近は1日平均1回のコールがかかるそうである。そのうち実際に出動したのは203回であった。

 出動しなかった理由は、患者発生と同時にヘリコプターにスタンバイをかけた場合、実際に消防隊員が現場に行ってみると、患者が意外に軽症だったりして、ヘリコプターは不要という連絡がきた例が36例。しかし天候不良で飛べなかったのはわずかに5回である。電話を受けてから出動までの時間は4〜5分。将来は1分半をめざすという。

 救急車は救急救命士が乗っていても、医師がいないから現場では治療らしい治療はできない。患者を病院へ送り届けるだけである。それを待って初めて病院の中で治療がはじまる。治療着手までの時間は山間僻地も入れると、出動の半分が21〜34分、25%が35〜49分だそうである。救急車の現場到着までは10分前後でも、20分以内に治療を受けられる人は4分の1に過ぎないのだ。

 それにくらべて、欧米の初期治療は15分以内に着手するのが基本原則である。ドイツやロンドンではヘリコプターを使って平均8分で治療がはじまる。そして浜松の場合、この1年間の平均が7.5分だった。明らかにヘリコプター利用の効果があったといってよいであろう。

 しかも、短時間のうちに輸血、点滴、抗けいれん剤の注射、気管内挿管による人工呼吸などの初期治療をすれば、従来と同じ怪我や病気でも、まったく回復が異なる。ヘリコプターで飛んでいる間にも意識の回復してくるのが分かるし、同じ病気でも退院が早いといった効果が見られるのである。

 

動き出したドクターヘリコプター

 平成11年10月からは厚生省が同じような試行的事業をはじめた。岡山県倉敷市の川崎医科大学と神奈川県伊勢崎の東海大学付属病院を拠点とするヘリコプターの運航である。

 これと平行して平成11年8月、内閣官房の内政審議室を事務局とする「ドクターヘリ調査検討委員会」が発足した。浜松、倉敷、伊勢崎で試みられているようなドクターヘリコプターを、今後日常的なシステムとして定着させるにはどうすればいいかという問題を検討するものである。

 その課題は、ドクターヘリコプターの実施体制のあり方、医療・消防・警察など関係機関の連携体制のあり方、救命率および費用効果の確認、諸外国のヘリコプター救急体制の確認などさまざまに検討された。

 最大の課題は費用負担のあり方であろう。消防法施行令改正の精神に準じてヘリコプターも救急車と同じ運用体制の中で同じように扱うならば、費用負担も同じにすべきで、そのための予算を国または自治体で確保する必要がある。しかし、別の財源を求めるとすれば健康保険ということになろう。健康保険の財務内容は現在赤字状態で苦しいといわれる。しかし、赤字の実態は無駄な検査や薬漬けによるものではないのか。もっと合理的な医療体制をつくり上げるならば、一種の往診料としてヘリコプターの費用を払うことぐらいはさほど大きな問題ではないはず。

 というのは、たとえば平成8年度の国民医療費は28兆5,210億円であった。救急ヘリコプター50機を全国47都道府県に配備するとして、その運航費が年間およそ150億円。医療費総額の2,000分の1――0.05%に過ぎない。医療コストにくらべてヘリコプターの運航コストは微々たるものである。

 このくらいの金額ならば、ちょっとした工夫や節約ではじき出せるはず。現に99年11月3日のニュースでは、会計検査院の調査の結果、医療機関による診療報酬の不正請求が300か所以上の病院で見つかり、金額は30億9,000万円だったという。これだけで10〜15機のヘリコプターが飛ばせるし、この30億円が氷山の一角だとすれば50機くらいの運航費はたちどころに出てくるであろう。

 そのうえ、ヘリコプターによって初期治療を早めることで患者の治りが早くなり、治療費や入院費が少なくてすむならば、保険機構からの出費も減って、むしろ財務内容の改善にこそ役立つに違いない。

 ドクターヘリコプターに関する議論が進む中で、平成11年11月29日には内閣官房安全・危機管理室が主体となって、東京消防庁のヘリコプターによる高速道路への着陸訓練がおこなわれた。事故のために渋滞する高速道路では、救急車がなかなか現場に近づけない。そんなときヘリコプターが現場に飛来し、その場で治療をしたり、患者搬送にあたるならば、その効果は絶大であろう。この訓練が今後、実際の日常業務に生かされることを願うものである。

 明けて平成12年2月1日には、航空法の改正が施行され、民間機にも81条の2が適用されることになった。これで救急ヘリコプターは飛行場外の着陸許可を受けなくても、機長の判断で救急現場に着陸できる。大きな前進である。

 また2月7日には自治省が「ヘリコプターの出動基準ガイドライン」を全国の自治体に通知して、地域に合った基準を作成することになった。救急ヘリコプターの出動を容易にするため、医師でなくても、誰にでも分かりやすい出動基準がつくられた。救急車が電話1本で直ちに走り出すように、ヘリコプターも特別な手続きなしで飛べるようにしなければならない。

 そのためにいくらか無駄な飛行も生じるかもしれぬが、余りきびしい基準にすると真に必要なときに飛べないし、時間的にも遅れを取る結果となる。欧米では2割程度の無駄はやむを得ないものとして認められている。

 こうして日本でも、救急ヘリコプターへの取り組みが1日も早く成就し、路上の死者が半減し、急病人が確実に救われる日の実現することを願わずにはいられない。

 

ヘリコプター救急に関する日本の取り組み

平成元年3月

消防審議会『消防におけるヘリコプターの活用』を答申

平成2年

札幌医科大学で実用試験運航

平成3年8月

東海大学病院で実用試験運航(9月までの2か月間)

平成4年7月

川崎医科大学で救急医療ヘリコプターの試験運航(12月までの半年間)

平成7年1月

阪神淡路大震災発生

平成7年7月

防災基本計画改訂(中央防災会議・国土庁防災局編)

平成8年5月

災害拠点病院ヘリポートの整備に補助金(厚生省)

平成9年7月

ヘリコプター救急システムの推進に関する検討委員会発足(自治省消防庁)

平成10年3月

消防法施行令第44条改正(自治省)

平成11年4月

医療用ヘリコプター研究飛行開始(浜松救急医学研究会)

平成11年8月

ドクターヘリ調査検討委員会発足(内閣官房内閣内政審議室)

平成11年10月

ドクターヘリ試行的事業開始(厚生省)

平成11年11月

高速道路で救急訓練(内閣官房安全保障・危機管理室)

平成12年2月

航空法改正で民間機にも81条の2を適用(運輸省)

平成12年2月

救急ヘリコプター出動基準ガイドライン作成(自治省消防庁)

 (西川渉、『別冊航空情報ヘリコプターのすべて』、2000年7月刊掲載)

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