限界へ挑む

――ボーイング社の女性テスト・パイロット―― 

 

 今日はボーイング社のテスト・パイロットとして航空界最先端の仕事をしている一人の女性をご紹介したい。

 その名はスザンナ・ダーシー。彼女のたどってきた道は、航空関連の仕事をしようという人にとっては、別に女性でなくとも参考になるであろう。

 48歳の彼女が今日あるのは、自分の受けた教育と熱心な仕事ぶりと不屈の精神である。「私はこれまで飛びたくないなんて思ったことは一度もありません」

 ロサンゼルスで育った彼女は、まだ3歳のとき「いつか飛行機を操縦してみたい」と祖父に語った。そして学校に行くようになってからは数学と理科が好きだった。

 やがて大学に入り、初めて航空学科の教室に行くと、そこにいた先生が「部屋を間違えたね」と声をかけた。スザンナが「いいえ、間違えてません」と答えると、教室中が静まりかえった。その頃の大学は、文科系の学生を合わせても、男子と女子の比率は6対1という程度だった。女子学生は、将来の結婚相手を見つけるためにきているだけとみなされていたのだ。

 ダーシーは男子学生の間にまじって、ひるまずに勉強をつづけた。そのめざすところはただ一つ、飛行機を飛ばすことだった。

 3年生になったとき、彼女はワシントン州立大学へ移り、それと同時にボーイング社の技術助手として働きはじめた。「この仕事が見つかると、私はすぐに飛びはじめました。会社がひけたあと、操縦を習いに行ったのです」

 彼女がボーイング社に入ったのは1974年だが、85年にはテスト・パイロットになった。それまで11年間のうち7年間は技術者として仕事をし、4年間はボーイング社の地上スクールでパイロットに航空工学を教える教官を勤めた。これまでに操縦教官として教えた機種は737、757、767、747-400、および777である。

 スザンナ・ダーシーが航空宇宙工学科を卒業したのは1981年であった。同時にボーイング社では1人前として扱われるようになり、訓練部へ教官として配属された。ここで5年間、彼女は人に教えるだけでなく、みずからも新しい技術を大量に学んだ。というのも、自動操縦デッキを初めて持った757や767を教えなければならなかったからである。

 生徒は、これらのボーイング機を購入した世界中のエアラインからやってきたベテラン・パイロットたちであった。そのため彼女は、これらのパイロットたちから長距離国際線を如何にして飛ぶか。如何にして時差や文化の違いに耐えてゆくかを学んだ。

 のちに彼女は、747と777の機長の資格を得た。それぞれ1989年と1995年のことである。1989年には737、757、767の機長資格も取得している。

 やがて彼女はボーイング社の技術飛行試験グループに入り、飛行機の設計やテストに関わるようになり、新しい技術を民間向け旅客機に採り入れるかどうかについても評価するようになった。

 テスト・パイロットという仕事は、彼女にとって非常に面白い仕事であった。「もしも私がエアラインのパイロットになっていたら、特定の航空機を操縦するだけだったでしょう。けれども、ここではボーイング社のつくるあらゆる飛行機に乗ることができるのです」

 それは、まさしく挑戦に次ぐ挑戦であった。いくつもの新しい飛行機を乗りこなしてゆくには、同じパイロットといっても、特殊な才能と専門的な知識が必要だからである。

 ボーイング社はいうまでもなく世界最大の航空機メーカーであり、旅客機と軍用機の両方で世界をリードしている。さらにNASAとの契約高でも全米一であり、宇宙ロケットや人工衛星をつくっている。

 ボーイング社には総数35人のテスト・パイロットが存在する。彼らは量産機のテスト・パイロットと開発機のテスト・パイロットの2種類に分かれているが、ダーシーはその両方を勤めた。現在は開発機の試験にあたっている。

「量産中の飛行機も、顧客に引渡される前には3〜4回の試験飛行をしなければなりません」とダーシーは言う。「この飛行によって、その機体が設計通りに仕上がっているかどうかを見るのです。それはエンジンや操縦装置が正常に作動するかというようなことばかりでなく、洗面所の右側の蛇口から熱いお湯が出てくるかどうかといったことまで確認しなければなりません。このような完成検査に従事する者は、不完全な世の中にあって、あらゆる事項に完璧を求める唯一の完全主義者といっていいかもしれません。ボーイング社は昨年、このような完璧な航空機を628機も引渡しまたのです」

 ダーシーは777の開発にもテスト・パイロットとしてたずさわった。その役割は設計から開発試験、型式証明取得のための飛行に及び、その後の改造試験や派生型の開発にも参加した。今も、昨年2月に開発がはじまった長距離型777-200と-300の開発にたずさわっている。

「通常は一時に1機種の開発にたずさわります。今のところ、私は777が専門です。このストレッチ型は23フィートも延ばすもので、世界最大の双発機ということになります。エンジンも大きくて、その直径は757の胴体がくぐり抜けられるほどです」

 ダーシーは1998年からボーイング社の飛行試験部門で777に関する上級テスト・パイロットになり、777-200の飛行試験について主導的な立場にある。

 今日、航空界では多くの女性が活躍するようになった。しかし、パイロットは少ない。女性が初めてパイロット・ライセンスを取得したのは1911年である。その頃の女性はたいてい曲技飛行などの見せ物パイロットであった。

 またエアレースに出るものも多く、アメリカで初めて女性だけのエア・ダービーがおこなわれたのは1929年である。同年、99人の女流パイロットが集まって国際的にも有名な「ナインティナイン・クラブ」を結成した。翌年、クラブの会員数は200人になり、1935年までには500人が追加された。

 第2次大戦中も操縦の心得のある女性たちは、フェリーパイロット、テスト・パイロット、整備士、管制官、教官として働いた。また飛行機の製造工場で働いた人もいる。

 パイロット以外の女性も含めて、1943年初め、航空関連の職場で働く女性の割合は31.3%に達した。

 1960年代、アメリカではパイロット・ライセンスを持つ女性が12,400人になった。全パイロットの3.6%である。それが10年後には3万人になり、今日では35,000人の女性が操縦資格を持っている。これはアメリカ人パイロットの約6%に相当する。

 かくて、ナインティナイン・クラブの会員も世界中で6,000人に増大し、奨学金制度をつくるなどの活動によって女性の空への進出を推進している。このクラブのリュー・ホランダー理事長は、みずからプロの女性パイロットとして飛んでいるが、「最近は男性の態度も変わってきました」と語る。「女性パイロットを支援しようという男性が増えてきたのです。けれども航空界における女性はまだまだ少数派です。1人前として認められるためには男性以上の努力が必要です。私たちのできることは、できるだけ多くの少女に接して、数学や科学に興味を持つようにし向けることです」

 ボーイング社のスポークスウーマン、バーバラ・マーフィーは「ダーシー機長に飛行試験の職場を与えたわが社は、当時ちょっとした賭をしたようなものです。しかし幸いにして、彼女にはそれだけの才能があると見ていたわが社の見方が当たりました」

 ボーイング社の飛行試験担当の副社長、ケン・ヒギンズ機長は「むしろボーイング社は、スザンナ・ダーシーを有能なパイロットとして見ていました。そのパイロットが、たまたま女性だったというだけのことです。同時にまた、彼女が女性の職域を広げたことも確かです」

 とはいえ、ダーシーは自分だけの勝手な道を行くような人物ではない。人一倍の努力家ではあるが、チーム・プレイヤーでもある。今、彼女のチームは2003年に始まる予定の長距離用ストレッチ型777の飛行試験の準備に余念がない。

 1970年代なかばから25年間、スザンナ・ダーシーは男だけの世界ともいうべき航空界にいながら、自分の意志を曲げようとはしなかった。その結果、いくつもの「初めて」というタイトルを手にした。ひとつはボーイング社初の女性テスト・パイロットになったことだし、747と777のキャプテンとして認められたのも女性として初めてだった。

 昨年秋には、航空と宇宙にかかわる女性団体から「ベスト・リーダーシップ賞」を贈られた。これは女性の職域拡大と地位向上に貢献した人物に贈られるもので、米国人の女性としては最高の栄誉である。

 ダーシー機長は今日も、シアトルの空を飛んでいる。

(DMB、2001.4.19)

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