記録をつくったヘリコプター
―― その4 ――
SA315ラマの高々度記録
1969年に完成したフランスのSA315ラマは、アルーエトUの機体とアルーエトVのダイナミック系統を組み合わせて、高温・高地性能を極度に引き上げたもの。1969年のヒマラヤでの公開飛行では、標高7,500mの高地で2人が乗って離着陸した。
また1972年6月21日には12,442mという高度記録をつくった。これは今も保持されている。
この記録飛行は、自重をなるべく少なくするため、バッテリーやスターターモーターなどを取り外し、必要最小限の装備で行われた。それでも高度が11,000mを越えると、飛行が困難になった。サーボ・コントロール装置はきかなくなり、主ローターは前進側ブレードが高マッハ数に近づき後退側ブレードは迎え角が大きくなって、空力的に異常な動きをするようになった。そこで速度を55km/hまで落とさざるをえなくなり、ラダーを足で踏み支えるのも難しくなった。もっとひどかったのは、気温が−62℃まで下がって、キャビンが氷で覆われ、外が見えなくなってしまったこと。
それでも上昇を続けていくうちに、エンジンが停止した。燃料はわずかに残っていたが、なにしろ離陸の時にスターターモーターを外してきたので再始動はできない。己むを得ず、オートローテイションで引き返すことになった。これは、もちろんFAI公認というわけではないが、史上最長のオートローテイションであろう。ラマは高度11,000mから7,000mまで雲中を盲目降下したのち、無事、出発地点に戻ったのである。
リンクスが速度記録
1972年6月、イギリスのウエストランド社が開発したリンクス双発タービン機が15〜25kmのコースで321.74km/h、100kmコースで318.504km/hの速度記録をつくった。これは総重量3,000kg〜4,500kgのEle級ヘリコプターとしての記録である。
ドーファンも速度記録
1972年に初飛行したフランスのSA360ドーファン単発機は、1973年5月Eld(総重量1,750kg〜3,000kg)級のヘリコプターとして、3つの速度記録をつくった。この中の最大速度は312km/h。
BO105Cは長航続記録
1974年4月20日、西独MBB社のBO105C小型双発ヘリコプターがEld級で、1,714.837kmの航続飛行を記録した。この飛行は直線コースで行われたものである。
女性パイロットによるA-10記録飛行
1975年7月から8月にかけて、ソ連のA-10ヘリコプターが6つの新記録をつくった。これらは2人の女性パイロットによるもので、最高速度記録は341.32km/h、3,000mまでの到達時間2分33.5秒、6,000mまでは7分43秒というものであった。
A-10はMi-24攻撃ヘリコプターの派生型で、最初の記録飛行はイソトフTV2-117Aエンジン(1,500shp)2基をつけて行われたが、その後TV3-117(2,200shp)2基に換装して、1978年9月21日、23km余のコースを往復した。その結果、往きは375.492km/h、帰りは361.332km/hで、平均速度368.412km/hの公認記録となった。
ビジネス・ヘリコプターの記録
1979年末から80年初めにかけて、シコルスキー社はビジネス・ヘリコプターとしてのS-76の特性を強調するため、ニューヨークとロンドンで都心ヘリポートを結ぶ記録飛行を行った。
まず1979年12月27日、ニューヨークのマンハッタンにあるウォール街ヘリポートを起点とし、ここからワシントン・ナショナル空港までの330kmを往復、往きは1時間11分、帰りは1時間9分42秒で飛んだ。次いでボストン・ローガン空港までの303kmを59分7秒で飛び、1時間5分5秒で帰投した。
さらに1980年1月8日、ロンドンのバターシー・ヘリポートからパリのイシー・ヘリポートまでの340kmを1時間15分、平均速度272km/hで飛び1時間11分、286km/hで戻ってきた。
ドーファン2もビジネス機
S-76に対抗して、アエロスパシアルSA365Nもパリ〜ロンドン間の記録飛行を行った。初日の1982年2月6日にはパリ〜ロンドン間を2時間18分57秒、平均速度294.26km/hで往復した。次いで2月8日にはパリからロンドンまで1時間3分29秒、平均321.91km/h、ロンドンからパリまでは1時間12分9秒、281.05km/hで飛行した。
Mi-26の重量記録
1982年2月、ソ連でまたしても新しいペイロード記録が誕生した。1981年夏のパリ航空ショーで初公開されたミルMi-26巨人機によるもので、従来のCH-54BやMi-12の記録をことごとく凌駕した。
まず2月2日、10,000kgのペイロードを6,400mの高度まで持ち上げ、2月3日には25,000kgを積んで4,100mまで上昇、2月4日には15,000kgを5,600mまで、20,000kgを4,600mまで引き上げた。そして、ついにMi-26は56,768.8kg搭載して高度2,000mまで上昇した。この搭載量はMi-26に認められた最大離陸重量56,000kgを上回るものである。
なおMi-26は、これもMi-6同様、速度性能に優れている。最大速度は295km/hにも達し、AH-64攻撃ヘリコプターよりもわずかに少ない程度である。
ソ連女性の強さを実証
ソ連のヘリコプターと共に、ソ連女性も強いという証明は、次の通りである。まず1982年3月11日、タチアナ・ズエバ嬢がカモフKa-26を駆って5,626mの高度に上昇、さらに5,602mで水平飛行をした。その後、今度はナデジーダ・エレミナ嬢がやはりKa-26に乗り、高度3,000mまで8分19.3秒で上昇するという記録をつくった。
さらに、この2人は一緒にカモフKa-32"ヘリックス"に乗り、3,000mと6,000mまでのラップタイムを書き換えると同時に、6,552mで2分間の水平飛行を行った。Ka-32はTV3-117Vタービン・エンジン(2,225shp)2基で同軸反転式ローターを駆動する最新鋭のソ連海軍機である。
ヘリコプターの世界一周
ヘリコプターによる世界一周飛行は、1982年9月、ベル206Lロングレンジャーによって初めて実現した。パイロットはロス・ぺローとジェイ・コパーンの2人。9月1日にアメリカのテキサス州ダラスを出発、東回りに地球を一周して、9月30日に同じ場所に戻った。
さらに、1982年8月5日から1983年7月22日の1年がかりで世界一周の単独飛行をしたのは、オーストラリア人のディック・スミス。彼はベル206Bジェットレンジャーを使い、やはりテキサス州フォトワースから東回りで地球をひとめぐりしたのであった。そして曰く。「ヘリコプターは、これほど長距離飛行に適し、これほど信頼性が高い」と。
(西川 渉、『航空ジャーナル』1984年8月号)
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