コクピット人物誌(2)

家族と少女

宮田 豊昭

 雲もいいが僕は大地の方が好きだ。雲に近いより大地に近い方を飛びたい。大地から、人間の息吹が感じられる高度がいい。もし飛ぶのが1,000ftだとすると、道路を走る車があり歩く人も見える。田の人も、小舟のしぐさも見える。

家  族

 新潟の北部が大水害に見舞われたことがある。新発田が孤立して炊き出しを新潟から運んだ。機種はベル47のKH4。

 わずかにヘリコプターが着陸できるところは鉄道の陸橋だけで、たまたま4機編隊の長機のようにになってしまったから、もう水がそこにあるぎりぎり前に着陸した。とうぜん後ろが高く前のめりだ。続いていたのが空幕のS-55で、車輪が付いているから転がってきて、ひかれやせんかとつまらぬ心配をする。

 長機でもないのにデカイのが金魚のウンチみたいについてこられたらたまらない、S-55と同じ量だけ積んでいたが、荷役ははるかに易しいから振り捨ててさっさと飛び出した。

 小学生の頃水害にあったことがある。水に浸かった稲は品質が落ち、お百姓さんは苦労する。眼下の水田も早く水が引けたらいい。

 しばらく飛ぶと一艘の田舟に逢った。新発田に向かっているが様子がおかしい。棹さす男がただならぬ身ごなしだ。必死に漕いでいる。

 スパイラルに入れて近づくと、竿を操っているのが父親で、母親が胸に子供を抱いている。艫には祖母だろう老婆がいて、必死の面持ちでヘリコプターに手を差し伸べている。すぐ子供が病気と分かった。新発田に急いでいるのだろう。義を見てせざるは勇無きなり。

 しかし一面の水害である。ヘリコプターが着陸できそうなところは何処にもない。浅そうなところを探すと水深が30cmくらいの農道を見つけた。ピッチをゆっくりと下げたら、なんとか腹が漬かない。

 父親が懸命に竿を操って近づいてきた。目と目があったとき、僕がローターを指さし、次に竿を指さすと、父親は大きく頷き竿を平らに漕いでくる。こんなときは、すぐに分かるのだ。

 船がヘリコプターに横付けになり、しっかり子供を抱えた母親が乗り込んで来た。僕が頷くと父親が背を低くしてヘリコプターを離れた。

 船が十分離れたところで離水する。父親が何度も頭を下げ、艫の老婆が手を合わせている。ホバターンをしながら新発田に向かった。

 家族ってほんとうにいいものだ。

崖の上の少女

 伊那は谷にある。天竜とその支流が太古の昔から大地を削り、鋭い谷を作ってきた。平地はわずかばかりの盆地になっている。歌にも伊那は七谷と唄われてきた。

 それでいてこの地は進取の気性に富む。いや、だから進取の気性があるのかも知れない。木曽義仲は頼朝より早く兵を挙げたし、現代も町並みは古いが時代を先取りして、いち早くヘリコプターを農薬散布に取り入れていた。

 天竜の支流に沿って奥まったところが僕の割り当てであった。狭い沢に点々と水田があり、田を捜すのに骨が折れる。飛行時間の大部分が田探しといった案配だ。これでも農薬散布なのだろうか。

 谷に沿った田は平面にない。段丘になっているから反転するときに、思い切って上がり素早く田を捜し、獲物を追う鷹になって降下する。何処に谷を渡る電線があるか分からないので、まったく油断ができない。

 弥生式の稲作は水の管理に細かい神経を使う。土木技術が発達してない古代は、明らかな傾斜のある土地でなければ稲作はできなかった。水を張るのも落とすのも、容易にできなければ稲が育たない。だから沢の上、上田とか山田とか、あるいは本田が水田の元祖である。

 やや土木技術が進むと、だんだん平地に降りてきて中田になり下田になった。平田は自信の水管理ができたのであろう。横田となると相当強引に開墾したと思わせる。僕の宮田や神田などは、技術の列外だ。

 此処は沢のどんづまり、山田や上田を通り越して、棚田以外のなにものでもない。

 もう田はないだろうと上昇した。ところが右の崖の縁に浴衣の少女が立っている。隣にはランニングシャツの父親、ふたりして歯を磨きながら僕を見下ろしているのだ。沢の奥には不釣り合いな広い庭があり、トタン葺きの家と納屋もある。

 朝は7時、不思議ではない光景だが、ひどく面食らった。何で歯磨きの少女が見下ろす場所を飛んでいるのだろう。

 少女にしてみてば、朝早くからヘリコプターの爆音がして、下の田を行き来している。のんびり歯を磨きながら見物するのは面白かったに違いない。それとも、父親が見物しているのに相伴したのかな。

 崖の脇を駆け登り、二人の顔がヘリコプターを追って見上げる。それでも歯ブラシを口から離さず、珍しい興行見物に余念がない。

 反転するとき肩越しにふたりを見ていたが、やっぱり顔がヘリコプターを追って来た。

 その日は一日中なにやら気分が良かった。

峠のひと休み

 見下ろすといえばこんなこともあった。

 新潟にはひとつ覚えで三国峠を越えていく。燃料が足りないので沼田で補給していた。

 その日は整備士も乗ってなくて、時間も日没にやっと間に合うくらいであった。なぜそんなことになったのかは覚えていないが、ともかく誰も同乗者が居ない。そして時間もなく、おまけに天気も今ひとつだ。

 気がせくままに沼田で補給して、よせばいいのに近道をした。清水峠を越えようとしたのである。高度5,000ftで雲があり、山に囲まれてにっちもさっちもいかなくなった。峠は6,000ft、これでは処置がない。急がば回れというだろう。

 やむなく高度を下げながら三国に向かったが、反省やしきりである。悔やみを引きずるのがいかにもシロウト臭い。

 三国峠はインディケート4,500ftで通れるはずが、3,000ftで雲に入る。さっき清水では5,000ftではなかったか。山ひとつだ、そんなのはない。

 しかしは3,000ftで雲に入る。これでは峠を越せないに決まっていると思いつつ、未練が残って谷を辿った。どうにも5,000ftが引っかかるのだ。

 峠が見えるところまで来ると、思った通り雲が開いていた。やれ嬉しや。

 ところがこちら、3,000ftは切っていて、5,000ftまで登らねばならない。沢は狭いからサーカスみたいだ。バンクも大きいからおいそれとは上昇してくれない。

 しばらく旋回しているうちに気が付いた。峠に登る道路があって、トラックが止まっていて、鉢巻きをした屈強な男が腕を組み谷底を回る僕を見下ろしている。

 たぶんくだんのお兄さん、ここまで登ってきて息つくエンジンを休ませていたのだろう。見ると赤いヘリコプターが谷底で遊んでいる。何をしているのだろうと眺めていたに違いない。ヒマなやつだと思ったかもしれない。

 同じ高度になって目が合い、ばつは悪いがそうなれば沢も広くなって、たちまち峠の高度になった。

 せくから挨拶もせずに新潟に飛んだが、できたら会ってどう思っていたのか聞いてみたかった。

 

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