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有効搭載量 |
2200-1450=750(lb) |
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燃料 |
24×6=144(lb) |
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オイル |
3×9= 27(lb) |
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乗員2名 |
340(lb) |
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その他搭載可能量 |
239(lb) |
239lbというと108kgである。気温が上がり高度が高いところならば、パイロットだけしか乗れないということがあったろうと思う。
最大速度はローターは先端速度の関数である。直径は10.71mで、回転数は最大350rpm、最低が285rpmになっていた。これで最大速度は92mphである。148km/hだ。
燃費から計算すると巡航で2時間、30分の予備は必要だから飛べるのは1.5時間、約150kmというところだろう。行って帰ってくるミッションなら、50km〜70kmが行動半径と考えなければならない。ひどく切ない能力だ。
B型は開放型のコクピットをオプションにしたり盛んに模索が続けられた。しかし1948年7月にはエンジンをマイナーチェンジしてベル47B3を出し、コクピットはバブル型の密閉式に定着した。
しかし1948年2月にはD型の量産が始まっているから、かなりめまぐるしい。エンジンはB3と同じフランクリン6V4-178-B32のままである。ホイールにブレーキを取り付けるなどして、実用性を向上させるために手を加えたのが判る。
1949年3月、ベル47D1になって本格的に安定した軌道に乗ることになる。エンジンは6V4-200-C32にパワーアップされ、200馬力となった。全備重量は2350lbとなり運用環境は広がって、一段と実用性が増している。最大速度は僅かながら向上し、95mphになっている。
もっとも資料によっては88mphになっているものもあるが、ヘリコプターの最高速度はあまり当てにならない。回転翼の高速域は性能のバラツキが多いのだ。それに使うこともないので、神経質になる人も希だ。
エンジンのパワーアップに合わせて燃料容量は24galから29galに増えている。多分ベル社は切実な要求を感じていたのだろう。
テイル・ローターの前に固定式のベントラル・フィンが取り付けられ、降着装置がスキッド式になった。以後これがベル47のシンボルになる。今でも頑強に、ヘリコプターはスキッドだと信じている人がいるほどだ。
細かいところではバッテリーが可動式となり、装備の状況に合わせてCGの釣り合いが取り易くなった。小さな改修のようだが、日々取り扱う整備士やパイロットにとっては大きい。CGに敏感なヘリコプターを、こまめに修正が出来る。またカウリングやテイル・ブームを解放式にして、横風運用性を向上させている。
[注1] lb(ポンド)=0.4536kg。mph(マイル・パー・アワー)=1.609km/h。gal(ガロン)=3.785リッター。
[注2] 換算は割算ではなく、掛算でおこなう。たとえば239lb×0.4536kg/lb=108.4kg。

途中E型はあったがF型がなく、同じ1953年の6月にはG型が生産され始めた。最大の変化は燃料タンクとシンクロナイズド・エレベーターである。両方とも、飛行中のCG変化に対応する手段として強化されたものだ。
E型までの燃料タンクはピロウ型で、トランスミッションの後ろに横向きに着いていた。考えただけでも不自然な装着だ。燃料の残量によってもろにCGが変化を受ける。燃料が多いときはテイルヘビーとなり、軽くなってくるとノーズヘビーとなる。安全サイドに動くのは確かだが、片時もCGは止まってなくて、しかも相当な速度で移動する。どうみても褒められた設計ではない。操縦特性は悪く、おちおち操縦はしてられない。
G型の燃料タンクは左右2個のサドル型になった。タンクのCGは機体のCGに近似しているから、燃料の量によって極端にCGが変化することはない。しかも容量が43galと48%も向上し、航続性能が著しく改善された。
くわえて、操縦捍に連動するホリゾンタル・スタビライザーが装着され、CG範囲が広がった。CG変化に弱い特異性が緩和されたのである。
ローターの直径は変わらないが、最大回転数が350rpmから360rpmとなり、速度は100mphにまで向上している。ただし、巡航速度は機体が重くなった分だけ低下し、60mphになった。約100km/hだが、航空機としてはあまり胸が張れる速度ではない。
僕はこのG型から付き合い始めたのだが、操縦系統に油圧はなく、ローターのフィードバックがもろに操縦捍に返ってくる仕掛けになっていた。もし教科書通り卵を握るように優しくしたりなぞしたら、たちまち操縦捍は暴走してしまう。セム皮の手袋は必ず穴が開いたし、掌にはマメができて、まるで肉体勤労者の手であった。
G2型はエンジンをライカミングのVO-435-A1Aに換え、信頼性が飛躍的に向上した。エンジンは心臓だというが、こんなにも違うのかという実感だ。潤滑系統はウエット・サンプからドライ・サンプ方式に変わって、取扱性も良くなった。量産開始は1955年の1月である。
最大の変化は操縦系統が油圧式になり、操舵力が相撲さんの手から赤子の手で済むようになったことだろう。パイロットは苦役から解放されたのである。G2でベル47は完成の域に達したと言えるだろう。出現からちょうど10年が経っている。
エンジン出力は260hpを200hpに減格し、トランスミッション吸収馬力が200hp、高高度高温高湿度には余裕が60hpある。これが大きい。スロットル全開高度が3900ftになって、ほとんどの地形に対応できるようになった。全備重量は2450lb、空虚重量は1564lbである。
再び搭載量を計算してみる。
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有効搭載量 |
2450-1564=886(lb) |
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燃料 |
41×6=246(lb) |
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オイル |
3×9= 27(lb) |
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乗員2名 |
340(lb) |
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その他搭載可能量 |
273(lb) |
燃費が15gal/hになったが、航続時間は2.7時間と40分ほど多くなった。僅か40分と嗤うことなかれ、これが実に貴重な40分なのだ。
1962年、本流のG2はローター・ブレードを木製から金属製に換え、G2Aとなった。7年もの長い間G2に手を加えていないのをみても、この機種が、いかに完成度が高かったか分かる。
木製ブレードは、スチールのコアを挟んで前縁がスプルース、後縁がバルサで、全体はファイバーで保護されていて、テーパーがあった。しかし金属ブレードはテーパー無しで61cm伸び、回転数も370rpmになっている。乗った感じは柔らかな乗用車のスプリングから、硬いトラックのバネに変わったようだった。
ブレードの変化に合わせ、エンジンをシリーズのA1Eに換装して240hpにパワーアップしたが、増加分はローター効率と空虚重量に喰われて高高度性能が悪く、翌63年にはG3B1が出ている。
G3B1のエンジンはターボ・スーパーチャージャー着きのB1Aであり、270馬力に向上するとともにデンシティ・コントローラーの働きで、自動的に馬力が維持された。おそらく今でも最も高高度性能が良いヘリコプターだろう。エンジンを更にA1AとしたG3B2が量産された。
G3B1の翌年、定着したVO-435エンジンに換え、単純に余裕馬力を生み出す手段としてひとまわり大きい305hpのVO540-B1Bを載せ、G4が生産され始めた。
複雑で手の掛かるターボ・スーパーチャージャーより現場には歓迎されたようである。タンク容量は更に増加して57galになっている。ただ、空虚重量が1880lbになり、あまり重くなりすぎたという批判もあったようだ。ちなみに全備重量は2950lbに増加しているから、有効搭載量は1070lbと初めて1000lbを越えることが出来た。
1966年、エンジンをVO-435に戻して軽量化しベル47最後のG5が生まれた。しかし1967年からは後継のベル206の量産が始まっており、既に旧式機の感は否めず、G5Aを含めて74年で生産は終了した。
1955年3月、G2の量産開始に平行してH1が発表された。搭載するエンジンはフランクリンの6V4だが、テイル・ブームをセミモノコックとし、機体全体が外皮で覆われた高級乗用タイプである。翌年8月にはエンジンをVO-435に換えて、J型となった。
J型は220hp、タンク容量が35galで、広いキャノピーの真ん中に操縦席があり、計器板は左側に寄せられている。客席は操縦席の後ろに3席のベンチ・シートが用意されていた。
性能不足は明らかで、VO-540に換装して305hpにパワーアップしたJ2が、1960年から飛び始めている。タンク容量は49galになり航続力が伸びた。アイゼンハワー大統領専用機としても愛用され、更にJ2Aへと発展した。
Jシリーズの年産数は20機程度で、Gシリーズの本流からみれば傍流だが、ベル206につながる機種としてはむしろ本流と言うべき構造であった。
かって昔、セミモノコックの機体が出る直前は、金属トラス構造を金属外皮で覆った機種があった。ホーカー・ハリケーンやノースアメリカン・テキサンがそうだ。中途半端な構造と思うよりも、次のステップへの準備と考えるのが素直だ。
いずれにしてもベル47を改造していく過程で、ベル社は冒険的な戦闘機メーカーから、成功を足がかりに改修を重ねていく、しぶとい保守的な企業へと変身した。
1953年、日本でも川崎重工がベル47D1からライセンス生産を開始している。
G型、G2型を経て、G3B1を母体にした独自のKH4を生み出した。以後G4やG5の生産はしていない。
KH4はGシリーズの目玉のようなバブル・キャノピーを一新して、J型と同じ座席配置にしたものだ。ただし計器板は左側でなくて中央にある。したがってパイロットは、正面に計器を見て操縦が出来る。
エンジンはG3B1と同じターボスーパーチャージャー付きのVO-435、離昇出力260hp。タンクは再設計されて55gal、燃費は18gal/hで航続時間は3時間。最大速度は105mph、巡航速度が公称87mph。ベル47しか無かった時代のスーパーマシンになり、折からの農薬散布需要に乗って、ヘリコプターの黄金時代を築き上げた。
ちなみに搭載能力は次の通り。
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有効搭載量 |
2850-1868=982(lb) |
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燃料 |
55×6=330(lb) |
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オイル |
3×9= 27(lb) |
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乗員2名 |
340(lb) |
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その他搭載可能量 |
283(lb) |
一見してあまり変わりばえしないように思えるが、乗員が1名、燃料が1.5時間とするとそれなりの差が出てくる。当時はこの僅かな差が、とてつもなく大き感じられたのだ。
ベル47は日本の川崎重工だけでなく、イタリアのアグスタ、イギリスのウエストランドなどでもライセンス生産され、総機数は6000機以上に及ぶ、まさに名機なのである。

ベル47は創業期のヘリコプターの中核であった。操縦装置はデュアルのオプションがあり、大概の機体はプロビジョンがあった。だからこの時期のパイロットは皆、ベル47で操縦をおぼえ、ベル47で仕事をしたのだ。それ以外の機種が無いか、無いに等しいのだからしようがない。
僕もベル47でライセンスを取った。26歳のときだ。だからベル47の世話になったし飛行時間の多くがベル47だった。リュウさんもサイさんもシンちゃんもトモちゃんも、イケちゃんも3馬鹿大将も、皆ベル47でパイロットになり、ベル47に育まれたのだ。
彼らは今、スーパーピューマに乗っている。けれど、どの機種がいちばん良かったかと聞けば、口を揃えてベル47G2と答える。なぜなら、G2は青春の機種であるからだ。