タービン革命

2次世界大戦も幕が下りようとしているとき、敗色に包まれたドイツ第3帝国の空を小さな影が切り裂いた。連合軍の誇る護衛戦闘機P-51ムスタングより180km/hも速い凄い奴で、連合国戦闘機隊はまともに組み打ちが出来ない。ドイツ全土の制空権が確立されていなかったら歴史はひっくり返されていただろう。ジェット戦闘機メッサーシュミットMe262の登場である。連合軍は震撼した。

理論も議論も要らなかった。劇的なタービン・エンジンの登場であり、有無を言わさず能力だけが優劣を決する。以後戦闘機はターボ・ジェット一色になった。

血眼だった軍用機

タービン・エンジンの始祖形がジェットである。圧縮機をタービンで駆動するからターボ・ジェットと呼ばれた。そして、生まれたばかりのターボ・ジェットは衝撃的な能力を持っていたものの、たくさんの欠陥も抱えていた。信頼性に乏しく取り扱いは容易ではない。オーバーホール間隔は短いし加速が悪く、とてつもない燃費である。空に燃料を撒いているようなものだ。まともな費用対効果を考えたら成り立つ技術ではない。

だが世界は不信の時代であり冷戦に向かってひた走っていた時代だ。覇権は金に糸目をつけていられない。血眼になり少しでも優れた軍用機を求めていた時代だから、あっという間に戦闘機がジェット化し朝鮮の空で確かめられた。

結果は連鎖を生む。昨日まで「超空の要塞」と無敵を誇ったB-29が、ジェット戦闘機の前には蟷螂の斧より儚かった。アメリカ戦略空軍は青くなり、爆撃機も攻撃機も偵察機も、全てジェット化しなければならない。1950年代、軍用機は瞬く間にジェット化しタービン化を完了した。

エンジンと機体は蔦のように絡み合って成長する。古風な言い方をすればあざなえる縄のごとくである。互いに影響し響き合う。タービン革命は機体の変革を要求した。まず生まれたのが後退翼である。工作技術が懸命に後を追った。

多発の爆撃機にはエンジンをポットに収めて吊り下げる方式が開発され、B-47B-52になった。いまなお民間機にも続く定番でありタービン革命がもたらした形の変化だ。

民間機への伝播

タービン革命の衝撃は旅客機に及んだ。燃費の多いターボ・ジェットは長距離を飛ばなければならない旅客機には不利だが、高空を飛ぶことによって補えると着想した人がいた。最初のジェット旅客機デ・ハビランドのコメットは1949727日に初飛行している。DC-6Bやスーパーコンステレーションもまだ飛行していないときだから驚きだ。

コメットは1952122日に耐空証明が交付され、52日からロンドン〜ヨハネスブルグ線に就航、区間を23時間34分で飛び、従来の2/3に短縮した。まさにジェットの高速性を見せつけたのである。コメットは高空を飛んだがそれでも航続距離は2,400kmと短い。途中5ヶ所で燃料補給をしなければならなかった。それでも2/3である。

1950年代に入るとボーイングはジェット旅客機開発を決めた。競争相手のダグラスはジェットの欠点に躊躇いがあり出遅れる。この出遅れが後々ダグラスを苦しめ常に後塵を拝することになった。ロッキードにいたっては完全に競争の列外になった。

このように1950年代の初めには旅客機の世界もタービン革命の渦中にあった。メッサーシュミットの衝撃からわずか数年のことである。

技術の進歩は航続力を伸ばし、静かで振動の少ないジェット旅客機は客を引き寄せ予想外の利益をもたらした。もはやジェット旅客機の将来を疑う者はない。コメットの悲劇的な事故もたちまち乗り越えた。それほどタービン革命の力は大きかったのである。

軍用に連絡機というジャンルがある。企業活動が活発化し商圏が広がったとき、連絡機はビジネス機へと変身した。これがジェット・エンジンを装着し民間機にたちまち新しい機種を構成、飛躍的な発展をしてジェット・エンジンを小型化したい底流になった。

タービン化で劇的な変動を遂げたジャンルがもう一つある。ヘリコプターである。性能に制限があったヘリコプターを生き返らせ、押しも押されもしない機種にしたのはフリー・タービンである。最も小さいのはアリソンの250シリーズで重量は65kgから70kg程度で、5人乗りの小型ヘリコプターまでがタービン化した。



小型化の壁

大雑把に言ってタービン・エンジンの性能は回転部分の周速によって決まる。もし周速が同じなら強度や圧力などの性能は同じである。このことは推力の小さなエンジンを作ろうとするとどんどん周速を上げていかなければならないことを意味する。周速を上げることは回転数を上げることだから工作上の問題に直面しなければならない。ベアリングや潤滑が大きな壁になる。また素材の肉厚も限度を越えて薄くは出来ない。

それとコンプレッサーやタービンの翼間隔も問題だ。熱歪や工作の制約から無闇に狭くは出来ないから、これがタービン・エンジンを小型化する隘路になる。それに軸流コンプレッサーでは小型化してレイノルズ数が低下すると効率が落ちる。

燃焼室(コンバッション・チャンバー)の大きさも壁になる。焔を混合希釈するために必要な長さがあり、ターボ・ジェットを小型化する壁になっている。

補機(アクセサリー)も小型化には制約になる。小さく出来る限界があるからだ。信頼性や整備性が低下したのでは意味が無い。

何にも増して大きな理由はエンジン価格だろう。機体よりもエンジン価格が大きくなって下限を決める。ヘリコプターのように高価でも納得できるものを除いて、さすがのタービン・エンジンも安価を売り物にする軽飛行機には浸透できない。

エクリプス500

ところがエクリプス500という軽ジェット機が発表された。6人乗り双発でウイリアムズEJ22という極小ファン・エンジンを搭載し、機体は2000年価格で84万ドル弱にしかならない。日本円で1億円程度だ。まさかと思う常識をかけ離れた軽飛行機である。(現在はPratt & Whitney Canada PW610Fを搭載している)

離着陸距離が600m以下、全備重量が1,860kgというからたいていの飛行場でも運用が出来る。ジェット機としては異例の小ささで、ビーチのバロン58やパイパーのセネカと同じクラスなのだ。遂に軽飛行機にもタービン革命が始まったのだと思わせるに十分だ。

性能は最大巡航速度が657km/hでレシプロ機の倍、それでいて失速速度115km/hとレシプロ機の程度。初飛行から2ケ月足らずで確定発注数が1,357機、仮発注が715機、合わせて2,075機に達したという。不振を続ける航空機市場で革命的な発注数である。

エクリプス・アビエーションという会社は聞いたことがない。それもそのはずで完全に新参のベンチャーなのである。元々はエレクトロニクスの会社で航空には素人だ。だから航空の常識に囚われない飛行機が作れたのだろう。そしてこれが、アメリカの空である。




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